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Nobody |
06/08/09 20:13 |
「仕方ありませんね。とにかく―――」
「おぅおぅ。派手にやったもんだなぁ、オイ。轟音で目が覚めちまったぜ」
戦いの愉悦を期待する、狂気じみた言葉に遮られた。
SIDE:Marduk Cruach
その二人を見て、マルドゥークは狂喜した。少女のほうはよくわからない。捉えどころのない茫洋とした気配を放ち、突然現れた自分にも驚いた様子はないようだ。
だが、目の前にいる男。こいつは強い。間違いなく、自分と同じかそれ以上の実力を持っている。
面白い! マルドゥークは確信する。よくわからない少女は放っておいてもいいが、男のほうは別だ。全力で挑んでも勝てるかどうかわからない相手など、それこそ数えるほどにしか戦ったことはないのだから。
「く、はは…はははははは!」
思わず笑いが漏れる。男のほうはそれを見て眉を顰め、構えを取った。
「ガーゴイル…? これが、怪物の正体ですか」
そう。彼、マルドゥークはガーゴイルだった。くすんだ鉛色の肌に巨大な翼、犬に似た捩れた大きな耳。大きく外に迫出した肩当てを持つ純白の鎧に包まれた体躯は、まるで焼入れをした直後の鋼を思わせる。ガーゴイルの標準的な姿の中で、強い意志をもって蒼く輝く瞳と雪白の鎧だけが一際目を引いた。
手に持つエモノは飾り気のない黒い槍。巨大な杭にも見えるそれの柄は太く、長い。刃の部分は鋭く、同時に酷く重そうだ。あれなら相応の膂力を要求する代わりに、振り下ろしただけで石の床すら砕けるだろう。石突は潰れたような、棍のような平面であり、そちらは打撃を主眼とした一撃を狙えるだろう。いや、このガーゴイルの膂力。その直撃を受ければ、打撃でありながらその場が抉れ、大きな穴が空くだろう。
ガーゴイルとは、ポウォールの中でも上位種である。一説には異世界から召還された全くの異種であるとも言われ、凄まじい膂力とマナを併せ持つという。どれほど頑強な鎧でもその一撃を防ぐ事は出来ないとされ、人々の畏怖を一身に受けていた。唯一の救いは、絶対数が少なく、縄張りと定めた土地からは出る事がないため、滅多に人々の前に姿を現さないことなのだが――
「お前が何のためにここに来たかは知らないし、知ろうとも思わねえ。だがよ…」
マルドゥークはひとしきり笑った後、槍を男に向けて構え、それを一気に振り下ろし、叫んだ。
「こういう強そうなヤツと戦えるのは悪くはねぇ。おい、ここまで来て…ただで帰るなんて言わねえよなああ!」
それが、マルドゥークの宣戦布告の合図だった。
SIDE:Frederic
「く…ッ」
こちらに口を開かせぬままにガーゴイルの放った一撃を、なんとか盾で受け流す。
(これは…拙い!)
この威力。やはりこれは、直撃すればそこに穴が開くほどのものだ。それは鋼の鎧が体を覆っていようと意味はない。盾で直接受け止めるのは不可能、斜面を作り、槍の穂先を受け流すしかない。
頭を狙った一撃が流されたのを見て、ガーゴイルはその笑みを深くする。戦う事以外を知らぬとでも言うように、更にその追撃は激しさを増した。
「おらあああああ!」
二つの意識が激突する。フレデリックは胸、右手、右足を同時に狙った刺突の進路を盾で塞ぎ、防ごうとする。だが…
「なめんじゃねえ!」
「ぐ…!?」
一撃目。胸を狙った攻撃が防がれたのと同時に、ガーゴイルは慣性を無視して槍にかかったベクトルを変えた。直突きから横薙ぎへと唐突に変化した槍の軌跡は、フレデリックの腕から盾を叩き落し、その体をも吹き飛ばした。自分で凍らせた柱へと叩きつけられるのを、空中でトンボ返りして回避。痺れる左手に脅威を感じつつ、槍を振り回す怪物へと意識を向けた。
大の大人一人、それも完全武装で固めた人間を、たった一振りで軽く吹き飛ばす。フレデリックはその事実に、改めて脅威を感じた。
(なるほど、そのあたりの冒険者では歯が立たないわけですね。この相手は、強い!)
フレデリックは着地と同時に飛び出した。空いてしまった左手を、バスタードソードに重ねて両手で持つ。強く握るのではなく、あくまで添える程度に。痺れの引かぬ左手では、右手の挙動の邪魔になる。
姿勢を低く、胸が地面を擦るほどの低姿勢で滑るようにガーゴイルに近づいてゆく。その速度、それはまさに疾風だった。常人では目に映らぬうちに斬撃を受けて倒れるだろう。だが、彼を疾風とするならば、ガーゴイルは大嵐だ。迫る一陣の煌きを飲み込もうと、大嵐は槍を突き出した。
「バカがぁ!」
戦闘という行為において、高所から低所への攻撃は須らく優位だ。威力も乗るし、なにより狙いが付けやすい。ガーゴイルにとって、自分の腰ほどに下がったフレデリックの頭は、まさに一撃を放つのに打ってつけの場所。そして、ガーゴイルの武器は自分の武器よりもリーチの長い槍なのだ。フレデリックの行った動きは、完全な死手だった。
「ふッ」
だが、これは囮だった。どこを突かれるかわからない状況よりも、一点を狙われていたほうが回避もしやすい。鋭い呼気と共にフレデリックが体を捻る。突き出された槍は、一瞬前までフレデリックの頭のあった場所を貫き、薄皮一枚を切裂いた。目標を外した槍はガーゴイルの手元から大きく離れる事はなく――
「ちっ!」
再び、薙ぎ払いに変わる。横にずれた側頭部を狙う荒々しい攻撃。フレデリックは頬から流れ落ちる血にも構わず、槍に体の捻りと全体重を加えた一撃を叩きつけた。
横合いからの衝撃で、大きく弾かれる槍。一瞬にして攻防が入れ替わり、フレデリックのバスタードソードがガーゴイルを切り払おうとギラリと光る。
「勝負!」
一撃目。槍を弾かれた事により、大きく開いた相手の脇を狙う逆袈裟の切り上げ。ガーゴイルは弾かれた勢いに抵抗することなく斜め後ろにステップ、バスタードソードはガーゴイルの白い鎧を僅かに削り、ギシリと悔しげな響きを残す。
二撃目。相手に槍を戻す隙を与えず、また開いた距離を詰める突き。狙いは手甲に包まれた腕の、僅かな隙間――!
「おおおおお!」
水平に突き出された剣の平に、ガーゴイルは裂帛の気合と共に肘を叩き落す。酷く打ち据えられた剣は、目標ではなく床を貫いた。
「―――っ!」
瞬時に戦術計算。敵の数瞬後の動きがフレデリックにははっきりと『視えた』。
――そう、これこそがフレデリックの超人的な動きの正体であり、すなわち彼の強さの源だった。
演算・予測に特化した戦術思考。いわゆる超能力者の「未来予知(クレヤボランス)」とは違い、常人の百年に相当する戦闘経験から来る能力である。次の一手を見極め、擬似的な視覚情報としてフレデリックの視界に投影する。戦場のベクトルを視る事で戦況を自己の有利な形へと誘導するそれは、既に「未来予測(セヴンス・ヴィジョン)」の域にある絶対的な『先読み』の力。これがあるからこそ、フレデリックは先程のような一歩間違えれば致命的ともなる誘いをかける事ができ、身体能力では劣る上級ポウォールとも互角以上に渡り合えるのだ。
ガーゴイルの予測される動きに対し、フレデリックは最も効果的な攻撃を算出、選択する。そうして彼が選んだのは――
「はぁ!」
床に突き立った剣に手をかけ、高飛びの要領で飛ぶ。松明の明かりに、バスタードソードの白刃がキラリと輝いた。
思わず視線を上げたガーゴイルは、しかしそれを一瞬で罠と判断する。本来ならばフレデリックの姿があるはずのそこには、バスタードソードが回転しながら飛んでいた。
フレデリックは上空に飛んだと見せかけ、剣を投げ上げたのだ。…つまり、フレデリックはガーゴイルの足元に!
「がぁああ!」
低位置からの回し蹴りが、突き出された槍を避けながら鎧に包まれていない脇腹に吸い込まれた。さすがに衝撃を殺す事が出来ないのか、苦痛の咆哮と共にガーゴイルは大きくよろめいた。
フレデリックは重力に従い落ちてきた剣を掴み、一気に懐に飛び込む。次に狙うは厚い装甲に包まれたガーゴイルの胸。露出している首筋は致死の可能性があるため対象から外す。
刃がガーゴイルの胸元に迫る。だが、ガーゴイルは蹴られた勢いに抵抗することなく、そのまま回転しながら後ろへと倒れる事で攻撃を回避し、逆襲とばかりに床に腕を付き、それを支点にフレデリックの軸足を蹴り払った。攻撃の直後であるため回避が不可能と判断したフレデリックは、突きが外れるのと同時に右足を踏ん張り、その蹴りを受け止める。
「ぐ…っ!」
凄まじい威力だ。もし刻まれたルーンがプレートブーツの性能を上げていなければ、足の骨が砕け散っていたかもしれない。
痛みを噛み殺し、その隙に起き上がろうとしていたガーゴイルの腰を蹴り穿つ。
お互い不安定な体勢であったために威力は決して高くはならない。フレデリックもそれを知っていたため、打撃よりもむしろ衝撃を主眼にしての攻撃となる。
「が、ぁ!」
呻くガーゴイルを尻目に、フレデリックは蹴りに使った足を素早く戻すと、大上段の構えからガーゴイル目掛けて渾身の斬り下ろしを見舞った。
「はああぁ!」
「野郎ぉおおおお!」
唸る咆哮と鋼の音。ガーゴイルは崩れた姿勢ながらも槍を真横に構え、その一撃を真正面から受け止めた。鋼が鋼を食らう音が響いたのは一瞬か。次の瞬間、追撃に移ろうとしたフレデリックの動きに合わせて、ガーゴイルは槍を押し出した。剣でなんとか攻撃を逸らしたフレデリックだったが、その力までは御しきれない。ギャリという嫌な音を響かせ、力負けして槍に押し出される形になった。二人の距離は再び大きく離される。
戦場は大部屋へと移る。マルドゥークが追撃に移らずに飛びのいたからだ。その動きに何か感じるところがあったのか、フレデリックもゆっくりと間合いを詰めるだけに終わる。
今度は二人とも簡単に接近しようとはせず、槍の攻撃範囲のギリギリからお互いを睨みすえた。
おぼろげながら槍の軌道を見切れているとはいえ、確実に狙われる場所に頭という急所を差し出すのは正気の沙汰ではない。相手の実力を認め、躊躇いなくそれを実行したフレデリックの判断力も恐るべきものだが、彼の綿密に練られた攻撃を全て反射神経と直感だけで凌ぎぎったガーゴイルも凄まじい。
「おいおいおいおい、まさかこれほどとはなぁ! おもしれえ、あんた面白すぎるぜ!」
「……そうですか? 私はさして面白くもありませんが」
ガーゴイルの言葉に、フレデリックは素っ気なく答える。ガーゴイルはその答えに、呆れたように眉根を寄せた。
「ハッ、よく言うぜ。あんた、自分がどんな顔してるかわかってねえな」
「なんですって?」
「剣に篭るその愉悦。繕い切れないその笑い。これが戦いを楽しんでいなくて、なんと言う!」
「…………ッ」
ガーゴイルの一喝に、フレデリックは何も言い返すことができなかった。…薄々感じていたことだが、改めて指摘されると、なるほど確かに自分は笑っているのだろう。心は相変わらず弱いままだが、少なくとも剣を持つ手に入る力はホンモノだ。
やはり、人の業は簡単に消えるものではないようだ。強い者を求めて剣を振るう。自分の中にもその心は少なからずあるというのに、それを別の感情で覆い隠そうとしている。改めて、フレデリックはその事実に戦慄した。
同時に、このガーゴイルの事を少し羨ましく感じる。彼は、自分の心を隠していない。――自分のやりたい事だけをする。それを邪魔するものは誰であろうと容赦はしない――そう彼の瞳と槍が語っていた。悪に濁らず正義に淀まず、どこまでも澄み切った闘気と殺気。フレデリックは今まで、これほど純粋な気を持つ相手と戦ったことはない。
フレデリックは一度瞬きをして、その考えを振り払った。今考える事ではない。今は、この強敵を前に生き延びる方法を演算しなくては…。
槍の領域は中距離。剣が届かない距離からの攻撃だ。これに対する対処法は二つ。実にシンプルで、距離を取るか、逆に懐に飛び込むかだ。
実際、槍を含む大型の武器は取りえる選択肢が少ない。突き穿つか、薙ぎ払うか。ガーゴイルの持つ槍はどうやら打ち合いに特化した性能を誇るらしく、投槍として使うという選択肢はないようだ。なので、二択になる。通常ならばあくまで長・中距離用の武器に徹し、近づかれた場合は槍を捨て剣などの近接武器に変えるのが好ましい。
だが、この相手は別だ。フレデリックは自己の思考を加速させる。このガーゴイルは、槍の扱いに絶対の自信を持っている。この数合の打ち合いで、その事実を文字通り叩き込まれた。
戦況はフレデリックに優勢に運ばれているように見えるが、そうではない。本来のフレデリックの戦い方は、卓越した判断力と状況把握能力を持って相手の隙を見出し、一合の元に倒すこと。それをこの相手は、悉く野性的な勘と反射神経で防ぐのだ。隙をついたとしても、未来予知じみた直感により回避される。自分とこのガーゴイルの戦い方は、すこぶる相性が悪いのだ。負けるとは思わないが、このままでは千日手になる可能性すらあった。
ガーゴイルを見据えたまま、睨み合いの後の戦術を練るフレデリック。
距離を取り、魔術で仕留めるか?…否、このガーゴイル相手では魔術に必要なマナをチャージする間すらも、致死の隙となるだろう。
ではこのまま斬り合いを?…それも否、現状では簡単に決着はつかず、そうなるとガス欠になるのは確実に自分の方が先だ。
――相手を殺すか?…それこそ否だ。確かに殺すつもりで相手をすれば、倒す事は出来るかもしれない。だがそれは、フレデリックという個性の死を意味する。もう二度と、この手を悲しみの赤で染めはしないと決めたのだから。
(やはり、隙を見て逃げるしかないか…。私だけならなんとかなるが、こちらにはリタもいる。二人同時で逃がしてくれるものか…)
今更ながらに敵を殺める事を恐れている自分が愚かしい。衰えてしまった自分の心と体が恨めしい。
一度体に染み付いた技術というものは、どれほど時が経とうと完全に忘れる事はない。だが、肉体と精神は別だ。肉体は時の流れにより劣化する。精神は心の流動により変化する。
思えば、かつてのフレデリックには揺らぐ事のない信念があった。心の底から信じる事の出来る教えがあった。命をかけてでも守るべきものがあった。だからこその強さなのだ。
しかし、今の彼にはそれがない。信念など、裏切りと共に砕け散ってしまった。守るべきものなど、自身でさえもその対象ではない。だからこその弱さなのだ。
(やれやれ、精神力というものは大切ですね。今更ながら思い知りました。……でも、やるしかない。もう二度と、あの悲しみは味わいたくありません)
心の裡でつぶやきながら、無意識にリタと二人で生き延びることを考える。その無様さに苦笑いを浮かべた。
「さぁ、行くぜ人間の男。お前の心臓は、まだ動いているか?」
マルドゥークが槍を構え、後ろ足に力を貯めた瞬間。
フレデリックは、自分の脇から黒い何かが飛び出していくのを見た。
>>cp5に続きます。もう少しお待ちくださいm(_ _)m