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ユートゥ |
07/07/04 16:30 |
夜が明けたものの、辺りは依然として暗闇に包まれている。
昨日の豪雨の影響により発生した濃霧は、ウルラとイリアの間を流れる海をすっぽりと包み込んでしまっていた。
辺りはひっそりと静まり返り、さざ波の音だけがこの世界が確かに存在していることを証明してくれている。
その平穏で無機質な空間に、突然波を切り裂く音が加わった。
船である。
ケアン港から出航した、このイリアへの輸送船は、まるでこの世界にただ一艘だけ取り残されたかのように、一寸先も見えない霧の海を渡っていた。
「どうだ、何かみえるかぁ?」
甲板に野太い男の声が響く。
「いえ、全然何も見えませぇん。」
まだ若い声がそれに応える。
野太い声の主はそれを聞いて腕組みする。
「船長、ホントにこんな霧の中、イリアまで行けるんですかねぇ~?」
不安そうな声で、若い声の主が尋ねる。
腕組みをした船長は、そんな若い船員の弱気に苦笑いしながら答える。
「大丈夫だ。羅針盤は狂ってない。浅瀬までくりゃ霧も晴れてるだろうから座礁する心配もないだろう。ウルラとイリアの間にゃあ、小島や岩のたぐいはないからな。」
そう言って船長は、その若い船員を安心させようとした。
彼はこの道のベテランである。イメンマハで一等航海士の免許を受けて以来、かれこれ30年近くケアン港とケルラ港を往復している。
その彼が言うのだから間違いはない。若い船員もそれがわかっているのか、安堵した表情を浮かべた。
船長が船内へ姿を消すと、若い船員は再び見張りに戻った。
相変わらず辺りは霧で何も見えない。下の海でどんな魚が泳いでいるかも見れないし、空でどんな鳥が飛んでいるかも見れない。いや、こんな日に好き好んで飛ぶ鳥はいないだろうが。
「はあ・・・・・・・。」
若い船員は、何の面白みもない景色にうんざりして溜め息をついた。
この海の上で船から眺める景色が、彼は好きだった。遥か彼方で大空と大海を一直線に分かつ水平線は、見ていると何がしかの感動を呼び起こさせたものだ。
だが今は、水平線どころか船上まで霧で見えない有様だ。
「あ~あ、かったりいな。」
これじゃ、見張りをする必要もないんじゃないか。そう思い始めた彼は、少し体を休めようと、見張り台に座り込んで壁に背を預けた。
その時。どこかから歌が聞こえてきた。
「ん?」
彼は一瞬、空耳かと思った。
だが耳を澄ましてみると、微かに、しかし確かに歌が聞こえるのだ。
「な、何だ?」
彼は、その歌をもっとよく聞き取ろうと、息を殺してさらに耳を澄ます。
声が、少しずつ鮮明になってきた。若い女を連想させる、澄んだ美しい声音。それが北西の方角から流れ込んできた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
美しい、それは本当に美しい歌声だった。
まるで、自分が乳飲み子だったときに母親が歌ってくれた子守唄のような、そんな、聞いていると心が安らぐ声だった。
彼は、もっとよく聞き取ろうと甲板へ降りていった。
歌声はまだ聞こえる。どころかだんだんと大きくなっている。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
頭がボーッっとしてきた。
もっと聞きたい。この声をもっともっと、いつまでも聞いていたい。
・・・・・・・ナラバコッチニオイデ・・・・・・・・・・・
頭の中で突然声がした。
えっ?彼は周りを見回した。誰もいない。
・・・・・・・ココヨ、ココニクレバモットワタシノコエヲキカセテアゲラレルワ・・・・・
頭の中の声が言った。彼はのろのろとそっちを見た。
そこは甲板の船べりだった。
・・・・・・・ワタシハソコニイルワ・・・・・・・・・・
そうか、君はそこにいるんだね?
頭の中の声に彼は呟き、ゆっくりそちらへ歩を進めていく。
歌声の主に会いたい。彼の頭の中にはもはやそれしかなかった。
彼は船べりまで歩き、手すりを掴んだ。
・・・・・・ソウ、ソコカラウミヲノゾイテミテ・・・・・・・・
彼は言われるままに海を覗き込んだ。
その瞬間、彼は何者かに胸倉を掴まれ、勢いよく海へと引きずりこまれた!
(つづく)