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緋美姫_rua |
06/09/17 03:05 |
ティルコネイル村旅館主人「ピルアス」の回想
彼と出会ったのは、夕暮れが近づいたティルコネイル村の旅館前だった。
行き交う旅人に陽気に振舞う姪のノラという娘に一瞥をくれてから、彼は旅館前を
流れるアデリア川のほとりに腰を下ろした。
旅に出たばかりの私に彼は、川向こうの景色を遠い目をしながらいろいろとアドバイスをしてくれた。
ひとしきり旅についての講釈を終えると彼は、暮れなずんだ景色の中で大きくため息を一つ吐いた。
「…ああ。こんな夕暮れを見ていると、遠い昔の記憶が甦ってくるようですよ…」
「…?」
彼のその言葉に視線を送ると、立てひざに両肘をつき顎を乗せてポツリポツリとそのいきさつを語ってくれたのだった。
今は旅館の主人をしているピルアスが二十年近く前の若かりし頃、このウルラ大陸を北へ南へと冒険していた頃の出来事だった。
二十代も後半になった頃には、数多のダンジョンや遺跡を訪れこの大陸の一通りの見聞を極めようとしていた。
そして、ある秋の日にフクロウ便が届けてくれた短い手紙には、彼を気にかけてくれていた村長の急病のことが書かれていたのだ。そのことがきっかけで急に里心がついた彼は、生まれ故郷であるティルコネイル村を目指していた。
ちょうどガイレフの丘を過ぎてセンマイ平原に差し掛かったとき、あたりが急に濃い霧に包まれてしまった。これまで経験したことのない濃い霧に、旅人としての彼の警戒心がアラームを鳴らしていた。
『ここは、クマやヒグマの巣窟…。街道沿いは安全とはいえ、この濃い霧の中ではヘタに動くのは命取りになりかねないな…』
実際、視界の届く範囲といえば自らの足元程度。鼻先にクマがいても気付かないほどだろう。
それでも彼は、これまでの旅で培った経験を総動員して、そろりそろりと歩を進めた。
いくらか進むうちに、ほんの少し霧が薄まった場所を見つけ、頼りないが視界の確保を確認してから彼は、インベントリから「キャンプキット」を出して設営の準備に取り掛かった。
設営したキャンプの中で彼はようやく一息ついてから、残り少ない食料の小さな肉とイチゴ数個を食べ、外が明るくなるまで待つことにした。
外で焚き火をしようと考えもしたが、焚き火の明かりがかえって野生の動物を刺激しないとも限らないので、この日はやめておくことにした。
どれくらいの時間が経ったのだろう…。あたりはすっかり日が落ちて、深々とした夜気があたりを包んでいた。
旅の疲れとこの緊張感からかつい眠り込んでいた彼は、ふと何かの音で目を覚ました。
その音は、何かが歩き回るようなヒタヒタとした小動物のようにも感じられる。真っ暗なテントの中で彼は、目を見開いてその正体を感じ取ろうとした。
『クマだろうか…。いや、クマにしては足音が軽すぎる。まさかコボルド?いやいや、あいつらはこんなに慎重じゃない。キツネかタヌキだろうか…?』
彼のそんな考えを裏切るように、足音はテントの入口あたりでピタリと止んだ。
『…!来るのか…!?』
とっさに身構えた彼に、意外な言葉が掛けられた。
「どなたかいらっしゃるのですか?」
それは凛として透き通ったような、紛れもない少女の声に聞こえた。
「…なに?」
思わずテントの入口から外へ顔を出したピルアスの目の前にいたのは、ぼおっとして半透明の姿の女の子がひとり。そして少女の背後の霧の中には、見慣れぬ丸く青白い明かりがポツリポツリと揺らめいている。
「ウィスプか…!?」
ファイアボールを詠唱しようとした彼に、目の前の少女は制止の言葉を掛けた。
「待って下さい!どうかあの方たちを攻撃しないで下さい。とても可愛そうな方たちなんです…」
半透明の女の子は自らをフレッタと名乗り、ある呪いによって現世と黄泉の国の狭間をさまよっているのだと言う。彼女の背後に見えた青白い明かりの正体は、このセンマイ平原でクマたちによって命を落とした旅人の魂であるらしい。
「……。こんなことが起こるなんて…。いまだに信じられないな」
フレッタをしげしげと見て、ピルアスは妙な感心をしていた。
「あの…。お願いがあるんですけど、聞いてくれますか?」
「お願いって?」
「空の宝箱を持っていらっしゃいますか?」
「…いや。持ち合わせはないな」
「そうですか…」
彼の返事に落ち込んだ様子のフレッタに事情を聞くと、彼女の「銘」の入った空の宝箱が十個集まると、魂だけとなった旅人の一人を天国へと導けるという。彼女はいったいいつごろから、自らに呪いを掛けられた上に、魂の浄化まで一人ぼっちでやっていたのだろう。
そんなフレッタの境遇を聴くにつけ、ピルアスは自分がいまこうやって何も出来ないことが、腹立たしく思えてきた。
彼がフレッタの叶わぬ願いを前にして悶々としていると、突然フレッタのほうから別れを告げてきた。
「旅の人…。突然お邪魔してしまった上に、無理なお願いをしてごめんなさい。私はもう行かなければなりません」
「行くってどこに?」
「現世と黄泉の国の狭間です…」
「……」
そうしている間にも、フレッタの姿は夜の闇の中に吸い込まれそうなくらい薄くなっていく。彼はあてにならない約束をするかのように、消え入る彼女に向かって叫んだ。
「私はピルアス!ティルコネイルのピルアスだ。きっと、君の探している宝箱を見つけてここに戻ってくるから…!」
『…ありがとう』
最後のフレッタの言葉はほとんど聞き取れなかったが、ピルアスはしっかりと脳裡に焼き付けた。
その後、無事にセンマイ平原を脱出した彼は村に戻り、病気の村長を付きっ切りで看護した。
そして時は過ぎ、フレッタと交わした約束は彼の記憶の片隅に忘れ去られ、気が付けば旅館の主人として忙しい毎日に明け暮れていた。
「……遠い、昔の出来事なんですよ…。ははは」
隣で自らを戒めるかのように力なく微笑んだ彼は、手元の小石を川面に投げた。
隣で私は彼に掛ける言葉もなく、ただ視線を泳がせているしかなかった。
すると、いきなり後ろからやたら元気のいい声がしてきた。
「ちょっと叔父さん。まーた、こんな所で黄昏ちっゃてー。帳場でお客さんが待ってるわよ」
姪であるノラの叱咤に、ピルアスは苦笑いを浮かべて重い腰を上げた。
「よいしょ。では、仕事へと戻りますか…。ああ、そうだ。あなたのこれからの旅の幸運を祈っていますよ」
そう言いうと、せっつくノラに背中を押されながらピルアスは旅館の中へと姿を消していった。
フレッタは、まだ自らの銘の入った殻の宝箱を捜し求めているのだろうか…?