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阿咲 |
08/03/07 23:54 |
良い天気だ。
生地を縫いあわせる手をふと止めて、雲の流れる空を見上げながら彼女は思っ
た。
誰かが糸車を回す音と、銀行の前に座った数人の冒険者の話し声。そしてダンカン村長の独り言が絶え間なく聞こえてくる昼下がり。なんてことはない。平和と呼ばれる空気だ。
広場を見下ろす一本の大木に背を預けながら、静かに微笑み、そしてまた針を動かし始めた。
「あ、いたいた」
作業を再開したばかりだというのに、手元が急に陰になる。年老いた馬のいななきと、蹄が草を踏みしめる音が、頭上から聞こえる声と重なった。
「…おかえり」
暗さも気にせず、指先をせわしなく動かしながら、帰ってきた相方達へと優しく声をかける。ちらりと視線を向けてやると、馬から降りた二人組と目が合った。
「ただいまぁぁぁ」
と、二人の内の片方、黒い長髪の美しい幼い少女が元気よく声を上げ、ちょこちょこと駆け回ってから、裁縫し続ける彼女の脇へと腰を下ろす。黒と黄色が鮮やかなワンピースとサンダルが、草の緑によく映えていた。見た目こそ可愛らしい小さな子供だったが、戦闘に入るやケオ島出身の血が騒ぐのか、歴戦の戦士顔負けの攻撃力と判断力を持っていたりする。腰にぶら下げた愛用の金メイスが、陽の光をきらりと反射させた。
「こんなん拾ったよー」
もう一人の、薄い茶髪を後ろで結んだニ刀女剣士が、ひらひらと褐色の紙片をかざして嬉しそうに微笑んだ。大きく『上』と魔族の文字で刻まれた通行証。大層な土産だった。
「すぐ行くの?」
「もちろん!」
そう言われるとわかっていたので、彼女はすでに片付けを始めていた。数本のまち針や長さ様々な縫い針をキットに無駄なく戻していく。その合間に、手持ち無沙汰そうな相方を見上げてみる。
薄いピンクのフェザーハットに同色のローブ。隠れて見えない軽鎧や甲靴もピンク一色だ。同い年のはずだが、戦闘時でない間は年下と錯覚しそうになることもある。『回る魔法使い』などと普段呼んではいるが、本心では最高に信頼している『剣舞士(ソードダンサー)』であることは否定しようがない。服の趣味も最近では、素敵だなと思えるようになってきた。
「何作ってたの?」
視線に応えたわけではないのだろうが、覗きこむように聞いてきた。
「秘密」
わざと素気なく答え、未完成の真っ白なドレスを畳んで鞄に詰め込む。同時に、相手に見付からないように『薄桃色の刺繍糸』も忍ばせた。
「しゅっぱーつ!」
つい先程までダンジョンに潜って、ラットマンやゴーレムを倒していたとは思えない程、元気よく駆け出した二人の仲間の背中を目で追いつつ、重い鞄を担いでゆっくりと歩き出す。
平和だった。
視線を巡らして、小さな村を眺める。
(…いつまでも続けばいいのに)
頭の中に浮かぶのは、この村と同じでありながら全く違う、ある村の風景。幾重にも交わるあのうめき声が、耳元で聴こえてくるような錯覚を起こす。大切な人の、変わり果てた姿が、見えようのない背後で近付いてくる。ぼろぼろの指が、肩へと触れた。
「はーやーくー!」
不意に世界が色を取り戻す。俯き気味だった睫毛を戻せば、すでに小さくなってしまった二人が大きく手を振っているのが見えた。振り向くまでもなく、背後に誰かがいる気配もない。遠くから呑気な小鳥の鳴き声が聞こえる。
(…そうね)
縫い合わせたわけではない。
気付いたら完成していた。
いつか痛んで破けて、着れなくなるのかもしれない。
そうだとしても。
今はこのぬくもりで寒さを避けていたかった。
一度小さく頷き、彼女は走り出す。
風が吹いて、銀の後ろ髪を揺らした。
今は笑っていよう。
今日の冒険を、始めよう。